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東京地方裁判所 平成3年(ワ)2750号 判決

原告 堀内道夫

右訴訟代理人弁護士 坂入高雄

同 菊地幸夫

被告 有限会社大堂

右代表者代表取締役 大熊伊佐雄

右訴訟代理人弁護士 福田盛行

主文

1  被告は、原告の主位的請求に基づき、原告に対し、三八六万八八四四円及びこれに対する平成三年三月一五日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4  この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、六九七万〇五一二円及びこれに対する平成二年一一月一一日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  (被告の媒介による本件賃貸借契約の締結)

原告は、神奈川県川崎市多摩区登戸一六六九番地一所在の鉄筋コンクリート造陸屋根四階建事務所(以下「本件ビル」という。)のうちの一階部分の店舗三〇・一八平方メートル(以下「本件店舗」という。)を賃借してラーメン店を開業するため、昭和六三年一〇月一五日、原告が委託した宅地建物取引業者である被告の媒介により、訴外吉木忠昭(以下「訴外吉木」という。)との間で、原告を賃借人、訴外吉木を賃貸人とし、賃料一か月当たり七万円、敷金二一万円、使用目的ラーメン店の営業、賃借期間同年一〇月一六日から平成二年一〇月一五日までとする賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結して、これを賃借した。

2  (本件店舗の競売と原告の明渡し)

ところが、本件ビルについては、本件賃貸借契約に先立つ昭和六二年八月一五日及び昭和六三年三月一〇日には根抵当権者訴外株式会社ホロンファンドの申立にかかる横浜地方裁判所川崎支部の競売開始決定による各差押の登記がされており、また、昭和六二年八月二七日には債権者神奈川県による差押の登記がされていて、訴外株式会社ホロンファンドは、昭和六三年一二月一九日に競売による売却によって本件ビルの所有権を取得し、同月二三日にその旨の所有権移転登記を受けた。

そして、原告は、平成元年五月二二日、横浜地方裁判所川崎支部から訴外株式会社ホロンファンドの申立にかかる本件店舗の引渡命令を受け、これに対して執行抗告の申立をしたものの、同年八月二五日にこれを棄却され、その後訴外株式会社ホロンファンドと種々の交渉を行ったものの、結局、平成二年一一月一〇日、やむなく本件店舗から退去してこれを明け渡した。

3  (被告の責任原因)

被告は、免許を得た宅地建物取引業者として、不動産の賃貸借契約を媒介するに当たっては、目的不動産について差押の有無等を調査し、これを賃借人に開示して、賃借人が不測の損害を被らないようにすべき義務があるにもかかわらず、本件賃貸借契約の媒介に際しては、本件ビルの登記簿等を調査することなく、本件ビルについて前記各差押がされていることを看過して、これを原告に告げなかったものである。右の事実を知らなかった原告は、当初の賃借期間が経過した後も当然に賃貸借契約を更新して長期間にわたって本件店舗でラーメン店の経営ができるものと信じて、本件賃貸借契約を締結したものであって、原告が右の事実を知っておれば本件賃貸借契約を締結しなかったであろうことは明らかである。したがって、被告は、債務不履行による損害賠償として、原告が被った後記損害を賠償すべき義務がある。

また、被告は、昭和六三年一二月二六日頃、原告との間において、原告が被告の媒介により本件賃貸借契約を締結したことによって被った一切の損害を賠償する旨を約した。

4  (損害)

原告は、被告の媒介により本件賃貸借契約を締結したことによって、次のとおり合計六九七万〇五一二円の損害を被った。

(一) 原告が被告に支払った媒介手数料七万円

(二) 原告が賃貸人の訴外吉木に支払った礼金及び敷金各二一万円

(三) 原告が支出した本件店舗の内装工事等費用合計四九五万六五〇〇円のうち耐用年数等を考慮して二〇パーセントを償却した残額三九六万五二〇〇円

(四) 原告が支出した開店諸費用のうち、食品衛生法に基づく許可申請の手数料一万一〇〇〇円、看板製作費用二万五〇〇〇円及び店印代一万〇六〇〇円の合計四万六六〇〇円の八〇パーセント相当額の三万七二八〇円、メニュー等印刷代、新聞折込等広告代その他の開店費用合計二四万九五七〇円の六〇パーセント相当額の一四万九七四二円

(五) 原告が購入した食器、厨房用品等の代金五七万〇四二〇円の六〇パーセント相当額の三四万二二五二円

(六) 原告が本件店舗でのラーメン店を休止した後他に就業できなかったことによる一年間の休業損害一九八万六〇三八円(原告が平成元年に本件店舗でのラーメン店の経営によって挙げた利益三九七万二〇七七円の五〇パーセント相当額)

5  (結論)

よって、原告は、主位的には債務不履行による損害賠償として、予備的には前記の損害賠償の合意に基づき、被告に対して、前記損害賠償金六九七万〇五一二円及びこれに対する原告が本件店舗を明け渡した日の翌日である平成二年一一月一一日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因事実に対する被告の認否

1  請求原因1(被告の媒介による本件賃貸借契約の締結)の事実は、認める。

2  同2(本件店舗の競売と原告の明渡し)の事実は、知らない。

3  同3(被告の責任原因)の事実中、被告が本件賃貸借契約の媒介に際し原告に本件ビルについて原告主張のとおりの各差押がされていることを告げなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件店舗の賃貸借契約について賃貸人である訴外吉木から委託を受けた元付業者たる宅地建物取引業者は、訴外鐙産業株式会社(以下「訴外鐙産業」という。)であって、本件賃貸借契約は、訴外鐙産業が重要事項説明書等を用意して被告の事務所に来場して締結することが予定されていた。

ところが、訴外鐙産業の担当者田中孝司は、本件賃貸借契約締結の当日、訴外吉木を僣称して被告の事務所に来場し、被告の担当者に対して、「訴外鐙産業の担当者は急遽来場できなくなったので、被告において関係書類を作成して欲しい。」と告げた。そこで、被告の担当者は、本件ビルの登記簿を閲覧するなどして権利関係等を確認する暇もないままに、訴外吉木を自称する訴外鐙産業の右担当者の言に従って重要事項説明書を作成し、本件賃貸借契約の媒介をしたものであって、本件ビルについて差押がされていることは全く知らなかったし、右のような状況下にあってはそのことに過失もなかった。

また、原告は、本件賃貸借契約に基づいて、本件店舗を約定の賃借期間である二年以上にわたって使用したのであるから、被告は、債務不履行責任を負うべき理由はない。

4  同4(損害)の事実中、原告が媒介手数料として被告に七万円を支払ったことは認めるが、その余の事実は知らない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1(被告の媒介による本件賃貸借契約の締結)の事実は、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、請求原因2(本件店舗の競売と原告の明渡し)の事実を認めることができる。

二  そして、《証拠省略》によれば、次のような事実を認めることができる。

1  本件ビルは、本件係争当時においては、訴外株式会社アベニューが所有していたものであって、訴外吉木は、訴外株式会社ホロンファンド又は神奈川県のための前記の各差押登記がされた後の昭和六三年三月二四日に、単に本件ビルについて賃借権設定仮登記を経由しているに過ぎず、もともとその賃借権をもって本件ビルの競売による買受人に対抗することができる筋合のものではなかった。

2  被告は、昭和六三年九月下旬頃、宅地建物取引業者である訴外鐙産業が賃貸人から委託を受けた元付業者として作成した本件ビルの賃借人募集の広告資料を入手し、折からラーメン店の経営のための賃借店舗を求めて被告の事務所を訪れた原告に対して本件店舗を紹介し、また、訴外鐙産業に電話をしてその担当者に原告のために本件店舗を案内させるなどした。

そして、原告は、本件店舗を賃借することとして被告にその媒介を依頼し、これを受けた被告(担当者)は、訴外鐙産業に電話をして賃貸借契約の締結の段取りを協議し、賃貸人、訴外鐙産業の担当者及び原告が同年一〇月一五日に本件ビルに程近い被告の事務所に参集して、そこで本件店舗の賃貸借契約を締結することとした。

3  ところが、昭和六三年一〇月一五日に当日に至って、訴外吉木の名刺を持参し自らが本件店舗の賃貸人の訴外吉木であると名乗る男が予定時刻に遅れて被告の事務所に現れ、訴外鐙産業の担当者は都合で来場できなくなった旨を告げて、被告に重要事項説明書の作成や賃貸借契約書の準備等を依頼した。

被告(担当者)は、元付業者である訴外鐙産業が重要事項説明書等を用意しているものと考えて、本件店舗の権利関係等については一切調査を遂げていなかったので、訴外吉木を名乗る男の言に従って、訴外吉木が正当な権限を有する賃貸人であって、その権利にはなんらの制限もないものとして、本件店舗についての重要事項説明書を作成してこれを原告に交付し、また、訴外吉木を名乗る男が賃貸人、原告が賃借人、被告が仲介人、被告代表取締役が取引主任者として、それぞれ賃貸借契約書に署名又は記名及び押印をして、本件賃貸借契約が締結された。

したがって、原告はもとより、被告(担当者)も、本件ビルについて訴外株式会社ホロンファンド又は神奈川県のための前記の各差押登記がされていることをおよそ知る由もなかった。

4  ところが、後日になって、訴外吉木を名乗っていた男が実は訴外鐙産業の従業員であって、訴外吉木を僣称していたものであることや本件ビルについては前記の各差押登記がされていたことが判明し、原告は、前記説示のとおり競売による売却、本件店舗の引渡命令、執行抗告の申立とその棄却決定等の経緯の後、訴外吉木や買受人の訴外株式会社ホロンファンドと種々の交渉を行うなどしたものの、結局、平成二年一一月一〇日に本件店舗から退去してこれを明け渡さざるを得なくなった。

三  以上のような事実関係の下において、被告の責任について検討すると、およそ宅地建物取引業者が委託を受けて不動産の賃貸借の媒介をするに当たっては、委託の趣旨に則り善良なる管理者の注意をもって媒介を行って、賃貸借契約が支障なく履行され委託者がその契約の目的を達し得るように配慮すべき義務を負うことはいうまでもなく、この場合において、目的不動産について競売開始決定による差押がされているときには、当該賃借権が競売による買受人に対抗することができなくなって、賃借人が早晩明渡しを余儀なくされることが容易に予想されるのであるから、右のような事実の有無は極めて重要な事項であることを失わず、したがって、宅地建物取引業者としては、これについて、賃貸人に確認するのはもとより、疑問のある場合には登記簿を閲覧するなどして、差押登記等の有無を確認し、賃借人に不測の損害を被らせないように配慮すべき義務があるものというべきである。

前記認定事実によれば、本件においては、事情を知らない被告の担当者が訴外鐙産業の従業員又は訴外吉木の仕組んだ詐術に嵌められたものであることが窺われないではないけれども、本件賃貸借契約の締結当日における前記のような不自然な経過や、訴外鐙産業が作成した広告以外には権利関係を確認する資料がなく、賃貸人ともおよそ面識がなかったものであることなどに照らすと、被告の担当者としては、契約の締結を後日に延期するなどして慎重を期すべきところであって、賃貸人を自称する一見の男の言を安易に信用したことはいかにも軽率との非難を免れず、宅地建物取引業者としての義務を十全に尽くしたものとはいえない。

したがって、被告は、本件賃貸借契約を媒介するに当たって、調査義務を尽くさなかったものとして、これによって原告が被った損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

四  そこで、被告の負うべき損害賠償義務の範囲について検討すると、原告は本件賃貸借契約に基づき当初の約定賃借期間の二年を超えて本件店舗を使用しているけれども、本件賃貸借契約の目的がラーメン店の経営にあったことに鑑みると、本件賃貸借契約は、更新されることを当然の前提として、相当期間にわたって継続することを予定したものであったことは明らかであり、原告が右のとおり二年間余の期間本件店舗を使用したことをもって本件賃貸借契約の目的を達したものといえないことはいうまでもない。したがって、原告は、結局、被告に対して、相当期間にわたって継続するものと信じて本件賃貸借契約を締結したにもかかわらず、それが二年余の短期間をもって終了することになったことによって被った損害について、賠償請求することができるものと解するのが相当である。

そして、《証拠省略》によれば、原告は、その主張のとおりの媒介手数料、礼金、敷金、内装工事等費用及び開店諸費用を支出し、あるいは、食器、厨房用品等を購入してその主張のとおりの代金を支払ったことを認めることができるけれども(ただし、原告が媒介手数料として被告に七万円を支払ったことは、当事者間に争いがない。)、右のような意味においての原告の債務不履行と相当因果関係のある損害としては、企業会計上の減価償却の実務や賃借店舗でラーメン店を経営する場合における取引通念上の通常の継続期間等に照らして、内装工事等費用四九五万六五〇〇円及び食器、厨房用品等の購入代金五七万〇四二〇円の合計五五二万六九二〇円の七〇パーセント相当額三八六万八八四四円に限られるものというべきである。

したがって、原告の主位的請求は、右損害賠償金三八六万八八四四円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である平成三年三月一五日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があり、その余の請求は失当として棄却すべきである。

また、原告は、被告が昭和六三年一二月二六日頃に原告が被った一切の損害を賠償する旨を約したと主張するけれども、本全証拠によっても右のような事実を認めるには足りず、原告の予備的請求は理由がない。

五  以上のとおりであるから、原告の主位的請求は、損害賠償金三八六万八八四四円及びこれに対する平成三年三月一五日から支払済みに至るまで年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において認容し、その余の主位的請求及び予備的請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条及び九二条、仮執行の宣言については同法一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上敬一)

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